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ある地点
 
 書店で久しぶりに手に取った新建築、それはたまたま集合住宅特集で、大半はワンルームタイプが10戸前後という規模だった。
1つ1つ割とゆったりページをめくりながらもふと気づいたのは、自分がその中で最も注視する箇所が、なんと文章である設計趣旨であり、そして次にPLANである事だった。これに気づかされた時、私は予定外にひどく困惑させられて、この、建築というものについていくことは、一体どういうことなのだろうと、不意にストップをかけられたような気持ちにさせられた。

この感情が起こったことには、きっと次のような訳がある。
それは、ジャンルはどうあれ一つの雑誌という視点から捉えると、何故大半を占める写真(それも、ある事柄の結果だということが明らかな被写体だということ)からよりも、結局は文字によってその理解を期待しているという矛盾が起きたということだ。
文章を読むことで、私はほぼ初めてその建築が発生させる、内部のイメージを感じ取ることが出来て、とてもわくわくした気持ちになる。だから次の作品からも、同じ回路で以って建築を理解するという期待をかけてしまうんだろう。
つまり、私たちが今建築を理解しようとするときには、建築の“外から”のこととか、あとは切れ切れの部分である“カット”ではなくて、建築の“中に起きること”と、それに伴う一つの生活の“流れ”を感じることが重要になっているのであった。
それを、建築のコードで置き換えたとき、今私たちの関心は、外部や部分を敷き詰める「素材」ではなくて、あるストーリーのための「ロジック」にある。
ものが単純にどう見えるのかということよりも、ものが何を人に誘発するのかという段階で考えなければならない時代を改めて強く認識させられた。

そしてもう一つの訳それは、そこに書かれたストーリーのおおよそが、建築の内部と関係性を持つ人々に限られているという印象があるということ。
社会のために一役買おうという気持ちよりも、自分の把握できる範囲の、身の回りの物事が豊かだということの方に価値が置かれる傾向の時代だからこそ、それはきわめて自然な思考の流れと受け取れば済むのだけれど、私の中の、もやもやした気分は一体なんだろう。
ものが単純に美しいということの説得力を、自分がまだまだ期待しているからか?
そうだとも言えるし、しかしそれだけではないようにも思える。

大きな大きな曖昧が、久しぶりに手に取った新建築によって、まるで何かがじわじわと染み込むように、心に残っている。きっとしばらくそうだろうし、ずっとそうでなければいけないんだろう。















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