<< September 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

<< ある地点 | main | 満月がきれいだな >>
夏休み
 8月12日の台風は、関西に向かう私とすれ違いに北東へ進んでいく。
刻々と変化する空模様にはらはら、それと共に久しぶりの遠出が高揚感を誘うし、気持ちは一日波を伺う船乗りの気分。
一日だけの夏休みは、滋賀県の佐川美術館ミホ・ミュージアムと、そしてゆとりが出来れば、京都の恵文社に行くこと。旅の目的はこの3つ。

 二つの美術館は与条件を調べていたからその成り立ちや手法は心得ていたけれど、やっぱりきちんとその場所に行って確かめてみると、そこでしか分からない新しい発見がある。
特にその中でも心に残るのが、美術館だからそこに見せようとするものがあって、それをどうやって見せるのかということに対して、それぞれが違う方向から考えた結果がきちんと表れていたことだった。
それは、それぞれの美術館が持つコレクションがどちらも日本・アジアの古美術を中心にしていることからその違いがはっきり感じられたんだと思う。

佐川美術館は、常設される様々な茶器を、それがその展示室の内部を作り出したかのように展示されているように感じられたのは、床が立ち上がったところにものがたまたま置かれていたり、壁から突き出たところにものが置かれていたり、建築を構成するものの延長上に何かそれぞれが配置されているような気配を漂わせていたからだと思う。それはとてもあからさまな様子ではないけれど、ものを
配置するということを考えたとき、その内部を計画する時には、絶対に何を置くのかということが具体的に知り得ていて、それがとても深く関係しているということが間違いなく感じられる場所だった。

ミホ・ミュージアムはそれに対して、アジアの美術の特徴を丁寧に捉えていて、その特徴をどうやって最大限に見せるのかということを、建物全体で考えていたんだと思う。
それはどういうことかといえば、アジアの美術は西洋のそれと比べて小さなものが多くて、その小さな美術を愛でるように見るということが、展示室と共用部のスケールの対比や、小さなものを見るときの人間の仕草をそのままいざなうような場所があることに私は感じ取ることが出来たんだと思う。
I・Mペイがある雑誌のインタビューに答えたように、建築を俯瞰から捉えることではなくて、もっとそこにある文化や人間性から捉えることに可能性があるはずだという信念を、この場所で垣間見たように思えた。

異なる様相に様々に感じ入るところがあっても、やっぱり共通するのは、思考は結果に残るということの責任であって、説得力であるということ。


 京都に戻って、新幹線の時刻までに余裕があったのが嬉しくて、大急ぎで恵文社へ。
二つの“見る”から解放させられて、新しいものの出会いを“探す”ということに没頭する。
一気に5冊も本を買う気にさせられるのは、今だここしか無い。




スポンサーサイト
COMMENT









Trackback URL
http://wafers.jugem.jp/trackback/71
TRACKBACK